VLOG|石川県金沢市のデザインチーム「ヴォイス」 ホームページ作成やCMの企画制作をはじめNPOタテマチ大学を運営

VLOG

PROFILE

宮川真也
株式会社ヴォイス 代表取締役

クリエイティブディレクター

タテマチ大学/NPO金沢マチ
ナカ大学 代表理事

MESSAGE200

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オーダーメイドではない。

2~3年前とは

ご依頼いただく仕事の内容が
めっきり変わっている。

難易度がどんどん高くなっている。

「こうしてほしい」から「どうにかしてほしい」へ。

具体的な依頼ではない。

抽象的というか

何をどうすればいいのかを
考えてほしいと。

何が問題なのかを明示したうえで

解決策がほしいと。

いい傾向だと思っている。

ずっと、オーダーされたらダメだ、と考えてきた。

生地はこれ、柄はこれ、

ボタンはこうで、パンツのシルエットはこう…と
スーツを仕立てるように
事細かに注文されているようではいけない。

それはVOICEのめざすものではない。

わたしたちは

まだ解決策を見いだせない人に
頼られる存在になりたい。

以前、「信用」と「信頼」はちがうと教えられた。

信じて用いられるのではなく、

信じて頼られる会社になりたい。

たとえば時間は有限だ。

やるべきことがたくさんある。

だったら優先順位をつけなさい、という。

優先度の高いものから先に取り組んで

低いものは後でやりなさい、と。

この考え方はよくない。

優先順位の低いものは

後でやるんじゃない。

やらない。

捨ててしまう。

だいたい後回しにして

後からちゃんとやることが
そんなにあるだろうか。

やらないということは

そもそもそれは
やらなくてもいいことではないか。

つまり、捨てていい。

優先順位をつける前に

捨てる決断をしなくちゃいけない。

一事を興すためには

一事を廃するに如かず。

そういう言葉があったと思う。

ようするに

何かひとつのことを行うためには
何かを捨てなければいけない。

あれもこれも求めていたら

何ひとつとして大成しない。

何事も成果をあげる鍵は集中である。

何かを捨てることは

大事なことに集中するということだ。

すべての資源には

限りがあるということを
わたしたちはよく忘れる。

CREATIVE SEMINAR 15′

ある人は

「しくみをつくりなさい」
と助言してくれます。

そのしくみのなかに

人材という資源を投入し
活用するのが経営というものです
と説いてくださいます。

「人に依存する経営は経営者の怠慢ですよ」

なるほど深く真っ当な話なのです。

ところが自分ときたら

人に依存したがる困り者です。

社員に助け舟を求めます。

社員に無理難題を問います。

「あなた」がいないと困る経営です。

「あなた」がいるという前提で事を動かしていくのです。

ゆえにヴォイスの採用活動は

「どうぞわたしを助けてください」
というのが本心であります。

良くも悪くも「あなた」は駒のひとつにはなりません。

会社に依存してもらっては困ります。

わたしが「あなた」に依存するのですから。

期待は生半可なものではありません。

来月開催の会社説明会が楽しみでしかたがありません。

こちらのページでご確認のうえお申し込みください。

CREATIVE SEMINAR 15'

ある人は

「しくみをつくりなさい」
と助言してくれます。

そのしくみのなかに

人材という資源を投入し
活用するのが経営というものです
と説いてくださいます。

「人に依存する経営は経営者の怠慢ですよ」

なるほど深く真っ当な話なのです。

ところが自分ときたら

人に依存したがる困り者です。

社員に助け舟を求めます。

社員に無理難題を問います。

「あなた」がいないと困る経営です。

「あなた」がいるという前提で事を動かしていくのです。

ゆえにヴォイスの採用活動は

「どうぞわたしを助けてください」
というのが本心であります。

良くも悪くも「あなた」は駒のひとつにはなりません。

会社に依存してもらっては困ります。

わたしが「あなた」に依存するのですから。

期待は生半可なものではありません。

来月開催の会社説明会が楽しみでしかたがありません。

こちらのページでご確認のうえお申し込みください。

もうひとりのじぶん。

「わたしの経験から言ってこれは◎◎ですね」

プロを自称する人は

あんがいそういう話し方をする。

でも、それは論理性も客観性も欠く。

「経験」と言いつつ

「わたしが正しいと思うやり方」を通しているだけだ。

「わたしがやりやすい方法」を主張しているだけだ。

じぶんの体験のなかに閉じこもる人を

おそらく世間はプロと呼ばない。

たしかにわたしたちの仕事は

「わたしが正しいと思うやり方」
を提案することだ。

だけど

「わたしがやりやすい方法」
になってはいけない。

提案する「正しさ」の基準が

「過去のよい記憶」であってもいけない。

もっと客観視しなくちゃいけない。

ものごとを客観視するのはむずかしい。

そして、じぶん自身を客観視するのはもっとむずかしい。

もうひとりのじぶんをもたなくちゃいけない。

もうひとりのじぶんの視点で、じぶんを見る。

それができる人をプロと呼ぶのではないかと思う。

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