VLOG|石川県金沢市のデザインチーム「ヴォイス」 ホームページ作成やCMの企画制作をはじめNPOタテマチ大学を運営

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PROFILE

宮川真也
株式会社ヴォイス 代表取締役

クリエイティブディレクター

タテマチ大学/NPO金沢マチ
ナカ大学 代表理事

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1分の1。

自分と同じことをいう人がいればいるほど

自分の価値は低くなるわけです。

同じことをいう人が100人いたら

存在価値は100分の1になる。

同じことをいう人がいなければ

1分の1です。

それが唯一無二です。

単純な算数です。

会社や商品はどうあるべきか?

と考えるとき
自分はこの単純な算数を考えます。

A社というクライアントがいる。

そのA社に語らせる言葉は

100分の1でなければならない。

つまり、

同業者や競合商品とは
明らかに違う考え方をつくる。

そして1分の1にする。

みんなと同じであることが

あたかも正解であるような風潮があります。

みんなと同じであろうとするのは

いわば本能のようなものです。

防衛本能。

みんなと同じであるほうが安全です。

ただし、

安全を確保するかわりに
そのぶんの代価も払わなければならない。

存在価値の低下。

存在感の欠如といってもいい。

100分の1の存在であることは

いくらでも替えがきくということであり
いてもいなくてもいいということです。

広告屋のVOICEは広告不要論を提唱せよ。

「どうやって商品を売るか」

広告やデザインをやっている人は

だいたいそういうふうに考える。

まちがっている。

「どうやって売れていくようにするか」

それを考えなければならない。

経営者や営業部長や店長や広報担当者もそうだ。

自分たちの商品やサービスを売り込んではいけない。

売り込まなくても(勝手に)売れていく。

その状態をつくるためには何が必要か、を考える。

それがわたしたちの本来の仕事であり、

マーケティングに関わる人たちが考えるべき視点である。

おヒマがあれば

VOICEのサイトに載っている作品事例を
いろいろ覗いていただきたい。

うちのつくる広告や商品やプロジェクトは

「売り込まなくても売れていくように」
という視点でつくられている。

勘のいいお客様は

そこをよく分かってくださっている。
ありがたい。

売れていくようにするためには、

いい広告だけでは足りないのである。

むしろ、広告はいらないとも言える。

「広告は商品を売り込むためのものだ」

という定説をみんなが疑わないのであれば、

広告は不要であると言わなければならない。

広告を不要にするために

何が必要かを考えて用意する。

それがわたしたちの仕事になる。

知識人ではなく知恵者であれ。

「知恵が大事」

と口にしたら、

「知恵とは何か?」

と問い質された。

知恵とは何だろう。

物事を見分ける能力のことではないか。

善か悪かを見分ける。

プラスかマイナスかを見分ける。

知識と知恵はちがう。

知識は学識と言ってもいいけど

知恵は学識とは言いがたい。

仮に知識をもって物事を知ったとしても

それを見分けて選びとるには至らない。

善と悪の2つの選択肢があって

善を採用するためには知恵がいる。

知恵が人並み以上にはたらく人は

何事に対しても
その原因と結果を見通せる。

今後の動向さえおよそ見通すことができる。

VOICEは広告をつくっている。

あるいはデザインをしている。

知恵がないと広告はデザインできない。

その広告がおよそどんな結果を生むかを

見通す力が知恵なのだ。

知識をもって理屈を語るクリエイターは多い。

知恵をはたらかせて結果を見通すクリエイターは少ない。

知識人ではいけない。

VOICEは知恵者であれ。

知識を応用して

知恵をはたらかせることができるから
お客様はわたしたちに仕事を依頼してくれるのだ。

お客様はわたしたちに

知恵をはたらかせることを
期待しているのだ。

いかに考えるか、を、考えるべきだ。

情報は大事か。

知識は大切か。

大切だとは思うけど、

それ以上に大事なものがある。

考える力。

情報よりも、知識よりも、

思考力のほうが断然大事だ。

ビジネスに不可欠なのは情報力だ、

みたいな話を見聞きするたび
なんで軽薄にそういうことをいうのかと思う。

(まぁそういっておけばそれっぽく響くのだ)

なぜ情報を得るのか。知識を得るのか。

それは考える材料を得るためである。

なのに、どうして情報上位なのかが分からない。

知っているのはいいことだが、

知っているだけでは何にもならない。

知っているだけで優位に立てた時代は

もうとっくに終わっている。

むしろ「情報をいかに捨てるか」が問われる時代である。

いかに考えるか、を、考えたい。

情報力<思考力である。

課題や目的があれば、人はすべての事象から学ぶ。

出張すると刺激を受ける、とは思わない。

街に出ると発見がある、とはかぎらない。

あそびの中からアイデアが生まれる、もあやしい。

セミナーに参加するとヒントを得られる、も疑わしい。

読書をすると気づきがある、も信じがたい。

ぜんぶ、人による。

それができる人と、できない人がいる。

課題や目的をもっていない人は、刺激や発見はない。

何をやっても気づきはない。

かのニュートンは

日々課題をもって生活していたから、
ふいにリンゴが木から落ちるのを見て
「引力」に気づけたのだ。

本を読もうが街に出ようが

課題や目的を抱えていなければ
なにかを知り学ぶことはない。

課題や目的をもって日々を過ごす人は、

万物から刺激を得る。

すべての事象から何かを学び、知り、発見する。

「たまには◎◎しないとインプットがないなぁ」

そういうセリフを口にすることは

目的や課題をもって過ごしていないことを
吐露しているに等しい。

割って、分けて、分かる。

「理」は「ことわり」と読む。

理(ことわり)の語源は、事(こと)を割る(わる)だという。

「事の内容を割って分け入り明らかにすること」

物事の真意や本質を知るときは

その事を2つなり3つなりに割ってみる。

割って、分けて、見つめてみる。

1つの事をいくつかの要素に分解してみれば、

たいていの理(ことわり)はつかめる。

「わかる」は「分かる」と書く。

「分かる」という言葉は

「分けられる」が変形したらしい。

物事の成り立ちを分けられたとき

事が分かったことになるのだろう。

分割する。

分解する。

仕事という字を分解する。

「人」の「士」の「事」だと分かる。

分からないことも

中身を分解してみると
なるほど本質に近づける。

真の強者は強者に見えない。

ウズウズする。

早く行動したい。

待て。

逸るな、と言いたい。

まずは誰がやっても上手くいくような作戦計画を立てること。

計ったとおりに動いて、自然に勝とうじゃないか。

勇猛果敢はいい。

しかし、よく観ろ。よく聴け。よく想え。

よく練り、よく計り、そしてようやく動きなさい。

勇戦敢闘は作戦ではない。

がむしゃらにやるのは、計画に無理があるからだ。

戦上手は無理なく勝つ。

そこに周到な計画があるから自然と勝つ。

人知れず勝つ。

真の戦上手は目立たない。

その知謀は人目につかない。

ゆえに、その勇猛さは勝っても称賛されることがない。

はたから見ると強者には見えない。

それでいいのだ。

それがいいのだ。

なぜ、そこまで自分を強く見せたがるのか。

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