VLOG|石川県金沢市のデザインチーム「ヴォイス」 ホームページ作成やCMの企画制作をはじめNPOタテマチ大学を運営

VLOG

PROFILE

宮川真也
株式会社ヴォイス 代表取締役

クリエイティブディレクター

タテマチ大学/NPO金沢マチ
ナカ大学 代表理事

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儲けすぎてはいけない。

利益を出しすぎてはいけない、と自らを戒める企業がある。

過分な利益を出す会社は

「できるだけ安くサービスを提供してお客さまの役に立つ」
という商いの基本ができていないのではないか。

利益を出しすぎるようなやり方は

いつか必ず顧客とのあいだに軋轢を生む。

まずはお客様にきちんと利益を出していただく。

そのおすそわけとして自らも利益を頂戴する。

そうやって得る利益を”適正利益”というのだろう。

「儲けすぎるななんてきれいごとをいうな」

きれいごとは言ってない。

過分な利益で一気に成長して

一過の収入を求めるか。

適正な利益で一歩ずつ成長して

継続的に収入を得るほうが大事ではないか。

給与の源泉はもとより利益である。

問題は、その利益はどこから生まれているかということだ。

利益は「お客様の利益のおすそわけ」ではないか。

わたしたちの給与の源泉もそこにあるのではないか。

話はややこしい。

だからこそシンプルに考えたい。

わたしたちの給与はお客様からいただいている、と。

時間があるのではない。好きがあるのだ。

魅力的な人というのは、
毎日に退屈していない人のことをいう。

「今日はどうやって時間をつぶそうか」

そんな人には魅力を感じない。

魅力的な人には、好きで好きでたまらないものがある。

趣味。仕事。何かに熱中している。

時間が経つのも忘れるほど没頭できるものがある。

「今日は時間があるから読書ができる」

いや、ほんとうに読書が好きな人は

時間がなくても本を読む。

時間があるから何かができるのではない。

熱中するものがある人は、

「何かに熱中するための時間がほしい」
とは言わない。

時間があるから熱中できるのではない。

好きなものがあるから熱中できるのだ。

VOICE EDITION

2週間ほど前に「VOICE EDITION」というページを新設しました。

このコーナーではVOICEの作品を紹介したり、

日々の活動記録として活用していきます。

これまではこのブログでも折々に作品・活動紹介をしてきましたけど、

そのへんはもっぱらVOICE EDITIONがやってくれるようです。

VOICEの作品紹介ページには掲載しない作品事例だったり、

このブログでは恥ずかしくて(めんどくさくて!?)公開しない自分の活動も
紹介していく予定です。

というわけで、

VLOGを覗いてくださっているみなさま、
VOICE EDITIONのほうにもあわせて立ち寄っていただけたらうれしいです。

わたしは更新されていく。

万物は流転する。

すべてのものごとは移り変わってやむことがない。

昨日の自分と今日の自分は同じように見える。

けれども10年後の自分は今日の自分とは変わっているはずだ。

日々の変化がそれをもたらす。

昨日と今日の小さな変化が積み重なって

10年後の大きな変化になる。

今日の自分は10年前の自分とはちがう。

この10年間の1日1日の小さな変化が今日の自分をつくっている。

周囲も変わる。世の中も変わる。

自分は変わる。変わらざるをえない。

会社も変わる。変わらざるをえない。

今日のVOICEは10年前のVOICEとはちがう。

この10年間の日々の変化が今日のVOICEをつくっている。

現在のVOICEは、過去の結果だ。

現在の自分は、過去の結果だ。

結果に過ぎない。

だからあまり興味がない。

興味があるのは1年後であり5年後であり10年後である。

だからこそ昨日と今日の違いは気になる。

今日、明日、明後日の変化が10年後の結果になるのだから。

恥を知るということ。

大人になると、かしこくなる。

かしこくなると、恥を知る。

恥を知ると、学びたくなる。

学ぶと、大人になる。

またかしこくなる。

また恥を知る。また学ぼうとする。

くりかえす。

大人になると、ずる賢くなる。

ずる賢くなると、恥知らずになる。

恥を知らないと、学ばなくなる。

学ばないと、人は老いる。

老いると、弱くなる。

弱さを隠すために、またずる賢くなる。

また恥知らずになる。また学ばなくなる。

くりかえす。

自由を放棄している。

一日に一食しかとらない人がいる。

すこぶる健康らしい。

ここ十年来、病院に通ったことがないし、

薬すら飲んだことがないと誇らしげにいう。

むしろ一日三食もとるとお腹が痛くなるらしい。

一日三食は”常識”だが、

その人に世間の常識はあてはまらない。

三食でも二食でも一食でもいい。

正解はひとりひとり異なる。

常識は法律ではない。

だから守らなくてもいい。

なのに人は律儀に常識を守ろうとする。

無理してでも三食とろうとする。

常識に縛られて、自由な選択を放棄している。

自由な時間がほしいとか。

自由にモノを選びたいとか。
自由に仕事がしたいとか。

人は自由を求めるわりに

たくさんの自由を放棄している。

ところで”常識”は誰がつくるのか。

たとえばマスコミだ。

朝昼晩としっかり摂らないと身体に悪い、

という常識をつくったのは
マスコミと、マスコミに洗脳されたお母さんである。

マスコミは一日一食を推奨できない。

あたりまえなのだ。

スポンサーの食品業界が困る。

ダイエット業界のスポンサーも困る。

一日一食にすれば

ほとんどの人はダイエット商品に
頼らなくてすむ。

マスコミに支配されることを好む人が自由を求めるナンセンス。

自由とは、自分で選びとること。

なのに、自分で選べない人ほど自由を求める傾向がある。

あたえられた役割を「仕事」にできるかだ。

やりがいのある仕事がしたいという。

やりがいを求めて就活したり転職したりするのだという。

すごく違和感がある。

やりがいは「どこかにあるもの」ではない。

やりがいは、自分自身でつくるものだ。

こんな話をすると、

それは起業家あるいは経営者の言いぶんだ、
みたいな話になる。

「アンタは仕事をあたえる側だからそんなことがいえるんだ」と。

仕事はあたえられるものなのか。

つまり、やりがいの有無は、

「会社から(上司から)やりがいのある仕事をあたえられるかどうか」
ということか。

勘違いしてはいけない。

仕事はあたえられない。

役割があたえられる。

役割はただの役割であって、仕事じゃない。

会社からあたえられた「役割」を、あなた自身が「仕事」にするのだ。

どうすれば「仕事」にできるのか。

1)役割を果たすことに責任をもつこと。

2)役割を果たすために自分の頭で考えること。

まずはこの2点。

そして、できれば、自分でルール(テーマ)をつくり、試行錯誤すること。

そうすればあたえられた役割は「仕事」になる。やりがいは自然とついてくる。

仕事にやりがいを感じない人は、

単にその人の能力や経験が不足しているだけだ。

やりがいを感じないのは、

誰のせいでもない、
自分の力不足のせいだ。

力不足を認めたくないから

「やりがいは他のどこかにある」と
幻想を探し求めることになる。

やりがいとは、業界や業種や職種や会社や部署によって規定されるものではない。

多様性は可能性。

ヴォイスにとってのフルオブビーンズは副業ではない。

副業ならもっと儲かりそうなことをやる(笑)。

いや、カフェは儲からない、と断じるつもりはない。

そういう話ではなく。

ヴォイスにとって金沢のマチナカでカフェをやることは、

儲かる儲からないという次元を超えてたいへん意義のある行為である。

ヴォイスは広告業を営む。そしてカフェもやる。

タテマチ大学のようなNPOもやるし、
いろんな商品を開発して販売したりもする。

ヴォイスにとって、事業は、実験だ。

フルオブビーンズやタテマチ大学は実験室だ。

コミュニケーションというものを実験している。

金沢のまちづくりを実験している。

BtoCビジネスを実験している。

結果、多様な事業を試したいと思っている。

「多様性が可能性を生む」

アーノルド・トインビーという英国の歴史学者が

そんな言葉を残していることを最近教えてもらった。

ヴォイスがいろんな事業を試みる理由がその言葉にある。

単一の事業に集中すれば、合理的に収益を追求できるのかもしれない。

多様な事業を展開すれば、そこから新しい何かが生まれるかもしれない。

ヴォイスがめざすのは後者だと考えている。

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