VLOG|石川県金沢市のデザインチーム「ヴォイス」 ホームページ作成やCMの企画制作をはじめNPOタテマチ大学を運営

VLOG

PROFILE

宮川真也
株式会社ヴォイス 代表取締役

クリエイティブディレクター

タテマチ大学/NPO金沢マチ
ナカ大学 代表理事

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好き?

「わたしはこっちのコピーが好きだから」
「こんな感じのデザインが好きだから」
「赤が好きだから」
「派手なほうが好きだから」
「こういうセンスが好きだから」
そういう「好き」が基準で、
たとえば広告の企画がつくられる。
好き嫌いで案が選ばれる。
ピンチだと思います。
「好き」からは何も生まれません。
ここでいう「好き」というのは
趣味程度に好き、といった意味合いです。
「そんなムズかしく考えないほうがいいよ」
「好みでもなんでもパッと見の感覚が大事だろ」
そういう声が聞こえてきそうです。
たしかにそうですね。
でも、そういったセリフのほとんどは、
考え抜くことができない人の言いわけや
ごまかしとして使われます。
理屈っぽいのがいけないのはわかってる。
理屈っぽい広告がよくないのも知っている。
だけど、理屈にあわないことはしてはいけない。
ナマイキすみませんですが、
ほんとうにそう思うので。
そういえば、ある作家は、
「趣味的なものからは何も生まれない」
といっていました。
賛成です。

お互い幸せになりますように。

Webやブログを観て
面接を希望してくれる人がいます。
うれしい話ですが、面接はたいへんです。
たいへんですが、たいせつなことです。
ヴォイスは人が中心の会社ですから。
最新鋭の設備に投資すればそのぶん受注が見込める?
たくさんの人を雇えば売上UPが期待できる?
そういう業種ではありません。
人の質で成果が決まる業種です。
というわけですから、
ヴォイスの社長なんて
社員がいなけりゃただの人です。
面接ではヴォイスの現在と未来を包み隠さずお話します。
未来は予知できませんから、
正確には「なりたい企業像」をお話します。
現在の姿と未来像のギャップもお話します。
「ヴォイスが描いている未来像と、いま現在の実情にはこのくらいの大きな溝があります。溝を埋める作業はたいへんです。シンドイからそれ相応の覚悟が要ります。ヴォイスの向かう方角とあなたのめざす方角が一致しないと、その覚悟も決められませんよね」
みたいな話です。
文章にするとカッコつけた感じになりますが、
とても泥臭い話です。
入社したのにヴォイスのめざす未来と交われなかったら、
それはすごく不幸なことです。
そうならないように
あらゆることを公開して判断材料にしてもらう。
お互いの不幸を未然に防ぐためには、
すべてをオープンにするしか術がないと思っています。

日本代表監督とブランディングと。

オフトという監督がいた。
「国際舞台の経験がないんだよな」と
国際経験のあるファルカンを招いた。
が、
「外国人ではコミュニケーションに難があるなぁ」と
日本人の加茂・岡田へ。
が、
「W杯を知っている人じゃないとなぁ」と
南アフリカを率いてW杯に出たトゥルシエに。
が、
「管理主義者より選手の自主性を重んじよう」と
満を持してジーコへ。
日本代表の監督選びは
場当たり的な反省のくりかえし。
そこには「日本のサッカーとはこうあるべきだ」という
ヴィジョンもコンセプトもない。
一貫性が生まれないのはあたりまえだ。
継続性もないし蓄積もされない。
それでは「日本らしさ」は永遠に見いだせない。
オシムは「日本代表を日本化しよう」といった。
が、
オシムが辞任するとき
「○○だったから次は××な監督にしよう」と
場当たり的な反省をくりかえすのなら、
永久に日本らしさはつくられない。
日本ブランドが象られることはない。
どんな「らしさ」をつくるかという
ヴィジョンがなければ、
企業も、街も、病院も、商品も、
場当たり的…をくりかえすしかない。
ありもしないゴールへ迷走するほかない。

あるいは、無知に対する防衛策。

ウォーレン・バフェットは、
世界で最も偉大な投資家のひとりとして知られる。
彼は「分散投資は無知に対する防衛策だ」という。
多くのファイナンシャル・アドバイザーは、
「投資対象は分散したほうがいいですよ」
ご自身を守るためにね、と顧客をうながす。
W.バフェットのいう「無知」とは、アドバイザー自身の無知だ。
どの銘柄や投資信託がすばらしい投資か。
それを具体的に言えないアドバイザーは、
「あれこれたくさん買っておくといいですよ」
とすすめるしかない。
そういって自分自身を守っている。
「お客様ご自身を守るために~」と言いつつ、
自分の身を、無知を、守っている。
広告クライアントにとってのメディアは投資対象だ。
メディアプランニングをまかされた者が
「テレビも新聞も雑誌もチラシもぜんぶやるといいですよ」
といった企画をもっていくのは、
自分の無知に対する防衛策にほかならない。
消費者の動向やメディア特性を研究し、
最良の投資対象を提示するのが
アカウントプランニングというものではないのか。

ひさしぶりの、鼓動が速くなる感じ。

「全国展開するんですね」
といったら、
「世界進出したいんですよ」
と、その20代の社長は微笑んだ。
昨晩の話。ヴォイスの応接室にて。
その人はヴォイスのウワサを聞いて、
わざわざ来社してくださった。
どんなヤツだ?うちをどうしてくれるんだ?
最初は品定めだったと思う。
会話をしていて、
ひさしぶりに
鼓動が速くなる感じ、
になった。
いつだったか。
ある経営コンサルタントが
「石川県は社長室に世界地図を貼っている人が少ない」
と嘆いていたのを思い出した。
世界を相手に闘おうと意気込む経営者が少ないという。
ボチボチやりたい。
上には上…を見ようとせず、
そこそこの段階から自らを磨くことをやめる。
(もとよりわたしにとってもすごく耳の痛い話)
昨晩は、
石川県もこういう人がまだまだいるんだ、
とうれしくなった。

総力戦だ。

あわただしい。
いそがしいとは言いたくないので、
あわただしい。
1日が瞬く間に過ぎてゆく。
わたしだけではない。
ヴォイスのメンバー全員が、
いま、たぶんそんな感覚だと思う。
そもそもヴォイスにヒマなときなどありえないので、
いわば年中そんな感覚かもしれないけれど。
でも、ここ最近はとりわけあわただしいのではないか。
仕事に追われているのではない。
追いかけている。
チャンスをたくさんいただいている。
期待してくださる方々がいて、
いまその期待がたくさん寄せられているから、
あわただしい。
いい仕事をしたかどうかは
クライアントが決めることだけど、
その仕事をこなすか否かは
じぶんたちが決めること。
ヴォイスは仕事をこなさない。
どんなときも流さない。
これが、わたしたちの約束。
いつなんどきも、これは、約束。
総力戦でいこう。

問題は、あたえられると難題だ。

問題は解くものではなく見つけるもの、
と思っています。
問題は見つけた時点で解けている、
というスタンスで仕事をしています。
じぶんにとって、問題と回答はセットなんです。
だから、じつは、
問題をあたえられるのがめっぽうニガテです。
「わたしたちにはこんな問題がある」
と先にやられると、
とたんにキュークツを感じてしまって、
身動きがとれなくなります。
受け身になってしまうというか。
自由が奪われるというか。
なんというか、
弱さを露呈してしまいます。
だから、いつも、
問題をあたえられる前に、
問題を先に見つけられるようにしています。
問題をあたえられても、
「いや、それが問題じゃない。
真の問題はこれです。
だから答えはこれです……」
…と。
本日ある人に
そんなような切りかえしをしてみせたら、
「それが宮川さんのやり口ですよね」
と笑いながら言われました。
バレてる。

人と違う仕事がしたかった。

大勢が右を向けば左を向きたい。
誰かが黒なら白でいきたい。
そういう性格。
小学生のときから、そう。
で、この仕事をはじめる動機も
「人と違う仕事がしたい」だった。
他の人ができることなら、
自分がやる必要はない。
というより、
他の人がやってることは
むかしからなぜか楽しめない。
だからこの仕事をはじめるときも、
他の人ができないことをやる仕事だと思ったから、
強く本気でやりたいと思った。
才能もセンスも知識も常識ない小僧だったけど、
「意地でもコレでメシ食えるようになってやる」
と思った。
ブームに乗るんじゃなくて
むしろブームをつくる側でいたい。
などという、気恥ずかしいナマイキも抱いていた。
そういえば、
ヴォイスで多くの人を面接させてもらっているけど、
「人と違うことがしたいからこの仕事を選びました」
という人とはまだ逢っていない。
じぶんはやっぱり特殊な変わった人間なんだろうか、
と、ふと思った。

大海原をゆく航海みたいなものだから。

会社というのはつくづく生き物だと思います。
たとえば、お盆休み前のヴォイスと
休み明けのヴォイスはちがう。
進化しているか、退化しているか。
それはともかく、変化しているのは事実。
経営は、航海と似ています。
風が変わる。波が変わる。
気候も、気温も、気圧も変わる。
なにもかも、昨日と同じ条件下にはない。
昨日と同じ舵取りをしていては
船はうまく進まない。
企業活動は大海原をゆく航海のようなものだから
そのときどきで臨機応変が欠かせない。
たとえば、毎回同じ形式の会議はしたくない。
そのときの出席者の顔つきを見て
そのつどスタイルを変えてみたり。
室内にただよう空気を読んで
いつもの流れをあえて逆にしてみたり。
そういうことも必要ではないかと思って
いろいろ試みたりしています。
成功しているかどうかは定かではありませんが。
それが正解かどうかも判りませんが。

オトシマエをつけなくちゃね。

発言するということは怖いことです。
まず、コトバは独り歩きするからです。
ひとつのコトバは、
受け手によってさまざまに解釈されます。
たとえば、わたしのような半人前がコトバを発すれば
生意気にも、自慢にも、ヘタな説法にも映ったりする。
自身はそんなつもりなどサラサラないわけで
まさかこう解釈されるなんて…と恐怖におののくわけです。
もうひとつ。発言することが怖いのは、
自分の能力と発言にギャップが生じることです。
言うは易く、行うは難い。
…ではありますけど、やはり言動不一致はマズイ。
自分の能力不足だから仕方がない、ではすまされない。
言ったことをやらない(やってない)のは嘘つきでしょう。
「がんばってるんですけどまだまだ力不足で…」
これも約束破りに等しい。
結果として「やらない(やってない)」のは、
ある意味、裏切りですね。
とまぁ、発言することはとても怖いんです。
考えれば考えるほど大きなリスクが見えてきます。
それでもこのブログは
もうしばらく続けてみることに決めました。
自分自身やヴォイスに重荷を課すことを継続したいからです。
発言することは恐いですけど、
それは重荷を課すことへの恐怖でもあるわけで、
そこを怖がっていたら前へ進めないのではないかと。
有言実行というか。
自分の発言にきちんと落とし前をつけていく。
コトバの独り歩きや言動不一致は
これからも多少あるでしょう。
いろんなリスクはあるとしても、やはりそういうやり方が、
自分を動かす最良の方法だと思いますので。
わたしはものすごくなまけ者なので。
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