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宮川真也
MIYAKAWA SHINYA
株式会社ヴォイス 代表取締役社長
クリエイティブディレクター
タテマチ大学/NPO金沢マチナカ大学 代表理事
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好キナコトシタイを殺さない。 |
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2006-07-30 11:46:29 |
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介護施設の仕事をしました。
そこで多くを学ばせてもらったので
ヴォイスサイトのトップページのビジュアルが変身しました。
その介護施設は、施設というより、「家」でした。
だれにも管理されない「家」でした。
「家」では人を管理しません。
決まったプログラムもありません。
指定された座席もないです。
好きなことを、好きなところで、好きなだけやる。
すべて、本人の意志のままに。
人間は、自生する生き物です。
そもそも“じぶんで生きようとするちから”をもっています。
護る(まもる)だけの介護では
その秘めたちからは、秘めたままになります。
介護施設は、人を管理するところにあらず。
人の生きようとするちからを引きだすところ。

CD&AD 武田裕司 D 山崎哲平

CD&AD 武田裕司 D 田中亜紀
何かをしたい、好きなことがしたい、
という意志を殺さない。
意志こそが生きようとするちからの源泉。
企業活動と相通じるように思います。
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モチベはどこからやって来るか? |
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2006-07-28 14:50:44 |
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とある学生に
仕事のモチベーションはどこから来るのか?
と、訊ねられました。
クリエイティブな仕事へのあこがれ。それだけです。
と、答えようとして、
なんかキザっぽかったので、
こんなふうに話しました。
「やっぱりカッチョイイー仕事がしたいじゃないですか。で、全力でやらないとすぐにカッチョ悪い仕事になるから手を抜けないじゃないですか。マネするのはカンタンですけど、オリジナリティのあるものをつくるのって身も心もつかれますよね。でも『もうこのへんで…』とか『これマネとけ』ってやったら、カッコ悪いじゃないですか。というのと、ホントのところは、いまだにずっとクリエイティブな仕事にあこがれてるわけですよ。レベルは高くないけど、いまはすこしだけそれっぽいことをやっていて。その仕事ができなくなるのがコワイんです。仕事をまかせてもらえなくなることへの恐怖がある…」
必要以上に正直に話しているような。
(ブログにも書いてしまってるし)
でも、そういうことじゃないかなぁと思うんですけど。
業界のみなさん、どんなもんでしょうか。 |
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VOICEは声ではありません。 |
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2006-07-27 20:10:12 |
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「企業」という言葉には、
まるで物体を表しているような響きがある。
無機質なものを連想させる。
しかし、
企業の正体は
人以外の何者でもない。
であれば、
企業をマネジメントするということは、
人をマネジメントすることに他ならないのではないか。
人間という生き物は、
じぶんの意志で行動するときこそ
本領を発揮する。
企業もしかり。
自らの意志で行動することが肝要と思う。
ゆえに、まず、意志をもとう。
意志を明確にしよう。
というのがヴォイスの提供する
ブランディングサービスの本質。
企業の意志をはっきりさせることで、
そこに集う人間の本領を発揮させよう。
人間の本気を
ひとつの意志のもとに集中させる。
そうすればサービスの質は自然と高くなる。
着飾ることが
ブランディングではない。
飾り立ててとり繕うことは、
ブランディングから逆流する行為だ。
ちなみにヴォイスのVOICEは意志と訳します。
と、ヴォイスサイトの「BRAND VOICE」のページに書いてます。 |
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ダイエットしようと思う。 |
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2006-07-26 20:11:38 |
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わたしのような三流広告制作者は、
ときどきコムズカシク考えすぎてしまう。
広告は理屈じゃない。
そう思ってスパッと取り組むほうが
結果的にいい広告になるのではないか。
ヴォイスがつくりたいのは、
ずばり「無視できない広告」です。
消費者にスルーされない広告です。
理屈で塗り固めた企画は得てして、
「どうやったら無視されないか?」
の部分が抜けがちです。
ときに。
経営も理屈じゃない、
と思ってシンプルにやったほうが
よいのではないかと思います。
理屈だけじゃ人間は動かないから、です。
理屈っぽいことはとっつきにくい。
ゆえに、人に無視されやすい。
理屈はときおり贅肉だ。 |
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学生は創造力がありますよ。 |
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2006-07-25 22:51:59 |
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「わたしは何をすればいいですか?」
たとえば上司にそんな質問をする時点で、
その人はじぶんの創造力のなさを露呈している。
じぶんのやるべきことはじぶんで見つける。
以前このブログで紹介した
学生プロジェクト「創ル部」のメンバーは、
じぶんたちでじぶんのやるべきことを見つけますよ。
今晩もそう。
「宮川社長!こんな問題を発見したんですけど」
相談しに行ってもいいですか?と電話してきて、
ダッシュで当社まで駆けつけてきた。
彼ら彼女らには学業があります。
彼ら彼女らは忙しい。
そのなかでじぶんのやるべきことを見つけて、
かぎられた時間のなかで
スピード感をもって動こうとする。

いま、創ル部はいくつかの企画を動かしています。
わたしはなにも指示しません。
いま100人を超える学生のひとりひとりが
じぶんのやるべきことを
じぶんで見つけてコトを動かしています。
ええ、創造力がありますよ。
やっぱり、見習わなければ、と思いました。 |
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あなたの脳が活性化するときはいつ? |
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2006-07-24 21:12:29 |
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きょうも多くの人にご来社いただき、
感謝しています。
いろんな人と対話をすると
いろんなアイデアが生まれるからいいですね。
やはり、
しゃべっているときが
いちばん脳が働く。
自分では脳をフル活動させているつもりでも、
じっさいに活動しているのは脳の20%程度だ、
といいます。
去年ヴォイスの課題図書にしてみんなで読んだ本に
「伝える力」久恒啓一著(すばる舎)というのがあります。

この本に
“脳がもっとも活性化するのは談笑しているときだ”
と書いてありました。
談笑しているとき、
わたしたちは他人に自分を知ってほしいから、表現する。
相手を知りたいから、相手の表現を受け入れる。
互いに認め合いたいから、表現をやりとりする。
この表現のやりとりをしているときこそが
脳をもっとも使っているときだ、
といったことが書かれていた気がします。
もういちど読み返してみようと思います。 |
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シテヤラレタ。 |
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2006-07-21 19:39:59 |
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じぶんよりスゴイ人と逢うと、
熱っぽくなる。
負けたくないなと熱くなる。
じぶんよりスゴイ人なんて
そこらじゅうにゴロゴロいるわけで。
だからまぁ年がら年中熱くなっているわけで。
きょうもシテヤラレタ。
ある人との会話で
気づかされた。
現状に満足していたのかもしれない。
へんにオトナになっていたのかもしれない。
いい会社っぽくなろうとしていた。
そんなタマじゃないくせに。
そんな力量もないのに。
そもそもそんなパーソナリティでもないのに。
もっとトンガろう。
ヴォイスは悪ガキキャラでいいんだ。 |
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こんなもんじゃない(と思いたい)。 |
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2006-07-19 22:38:58 |
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自分の力のなさを感じることがある。
ここまでやりたいのに、
こういうことをやりたいのに、
やりきることができない自分がいる。
理想どおりにいかない。
やりきることができないのは、
すべて自分の力量のなさに起因する。
そこに他責はいっさいない。
どんな背景であれ事情であれ状況であれ、
やりきることができないのは、
すべて自分の責任。
たとえば、
なにかをやりきるために
そのすべてを自分に任せてもらえたら、
と思うことが多々ある。
でも、任せてもらえないことがある。
自分に力がないから任せてもらえない。
くやしい。
あきらめたくない。
だからして、
能力向上のための努力を
これまで以上にやる必要がある、
と、強烈に思う、きょうこのごろ。
自分の伸びしろは
まだまだ
こんなもんじゃない、
と思いたい。 |
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ニュートンだけが気づいたのはなぜ。 |
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2006-07-18 20:35:39 |
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ニュートンが万有引力を見いだしたのは、
問題意識をもっていたからだと思う。
リンゴが落ちるのを見た人は、
ニュートンだけじゃない。
古代からたくさんの人が見ていた。
気づくチャンスは大勢の人にあった。
問題意識を抱えていたニュートンだけが気づいた。
街を歩く。
テレビを観る。
クルマを運転する。
雑誌を読む。
音楽を聴く。
外食する。
電車に乗る。
映画を観る。
人とおしゃべりをする。
コレぜんぶ気づきのチャンス。
なのに問題意識をもっていないから、
気づかない。
書を捨て街に出よ、だけでは不十分だ。
問題意識を抱えて街に出よ、だと思う。
…と、じぶんに言い聞かせてみた本日のブログ。 |
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ヴォイスの新課題図書を発表します。 |
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2006-07-17 22:16:15 |
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広告とアートは似て非なるものだ、
と考えていました。
だけど、岡本太郎氏の芸術論は、
そのまま広告論を言い得ている。

「今日の芸術~時代を創造するものは誰か」 岡本太郎著/光文社
いま、きわめておすすめしたい一冊。
本書のそこかしこに出てくる
「芸術とは○○である」を
すべて「広告とは」に置き換えて読む。
たとえば、
芸術は、きれいであってはならない。
芸術は、ここちよくあってはならない。
芸術は、うまくあってはいけない
芸術には、技能は必要ない。決意の問題だ。
これらの文章の主語を「広告」に差し替えると、
ヴォイスがあこがれているクリエイティブの
指針そのものになる。
1954年に著された本書を
2006年のヴォイスの課題図書にします。 |
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仕事は日常ではない。 |
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2006-07-15 18:32:12 |
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企業や街のブランディングをする。
プロジェクトやイベントのプロデュースをする。
広告の企画やコピーをつくる。
こういう仕事を十数年やっているわけですが、
いまだに仕事が日常的なコトにはならない。
仕事をしているときは、
すべて特別なことをしているという意識がある。
不思議なもので、
一日のほとんどを仕事で費やす生活を送りながらも、
けっして日常的なものにはならない。
そういう仕事に就いている自分は、
たぶんしあわせなんだろうなと思います。
もしも、そんな“特別な仕事”が
自分の生活の中から奪われてしまったら、
と考えると恐ろしい。
だから、いつも、危機感がある。
仮にヘタな仕事をしてしまって
自分にとって特別なことを失うことになったら…
という危機感。
あるいは恐怖心。
いつもなにかの課題に取り組むときは、
「はたして自分にこれが解決できるのだろうか?」という
強烈なプレッシャーとの闘いなんです。
(こう見えても。) |
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誇りと品格とらしさの関係について。 |
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2006-07-13 16:08:54 |
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ドイツ人には誇りがある。
イタリア人にもフランス人にもある。
彼らの立ち振る舞いを見ていたら、わかる。
自国がW杯で勝ち進んだから…というのも、
もちろんある。
でも、W杯で決勝に行こうが行くまいが
彼らは誇り高く生きている
彼らは自国を愛している。
決勝戦前のベルリンの街では、
たくさんのフランス人とイタリア人が
国旗カラーにペイントしたクルマに乗って
旗を振りクラクションを鳴らしながら流していた。
たとえば日本人がソウルの街なかで
こんな振る舞いができるだろうか。
たとえ日本が決勝に進出することがあっても
できないんじゃないか。
やったとしてもサマにならないと思う。
フランス人やイタリア人やドイツ人の誇りは
どこから来るのか。
それは「らしさ」なんじゃないか。
フランスらしさ。イタリアらしさ。ドイツらしさ。
その「らしさ」を彼らは誇りに思っている。
自分たち「らしさ」が「誇り」の源なのではないか。
日本人らしさとは何だろう。
あるいは金沢らしさとは。誇りとは。
そういうことを考えてしまった。
「この街には品格がある」
いっしょに旅したゼストの眞藤CEOは
ベルリンの街でそう話していた。
街の品格もまた、
ドイツらしさを源泉にしたドイツ人の抱く誇りと
無縁ではないと思う。

決勝戦後のベルリンの街はイタリア一色に。
世界中にむけて「わが国を見よ」とばかりに振る舞っていた。 |
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ドイツから帰ってきました。 |
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2006-07-12 17:27:05 |
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コレ、観てきました。

もちろん、生ジダンも(↓頭突き後)。

こんな感じで。

時差ぼけのため、つづきは明日で。 |
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ドイツに行ってきます。 |
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2006-07-09 09:24:41 |
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これから成田を発ちます。
この人といっしょです。
W杯の決勝を観てきます。 |
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VOICE 2.0。 |
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2006-07-05 17:37:45 |
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Web2.0が喧伝されています。
Webが実用化されて10年ほどが過ぎました。
VOICEがこの街のマーケットに実用化されて
5年と数ヶ月が経ちました。
VOICE 2.0に移行中です。
ここ数ヶ月ほど、
いろいろ試しています。
試してみて上手くいかなかったこともありますし、
継続すれば上手くいきそうなものもあります。
試しているけど現段階では判定できないものもあります。
VOICE 2.0のキーワードは、
「へぇ~ヴォイスってこういう使い方ができたんだ」
だと考えています。
マーケットに気づいていただきたいと思っています。
「わたしたちはこうなりたいんだ」というみなさんの目的に対して、
広告はそれを達成する手段のひとつにすぎないんだ、
ということを。
VOICEは広告制作会社を名乗ってきましたが、
VOICE 2.0ではそう定義づけることは
できそうにありません。
みなさん、どうぞご教示ください。 |
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ロックは死んだ、 |
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2006-07-03 19:49:04 |
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ではないですけれど、
広告は死んだと謳われる時代が
来ないとも限らない。
どういうことか。
アンチ広告の流れ。
広告は、
広告らしいつくりをすると、
広告と見抜かれる。
だから広告制作会社は
広告らしからぬ
広告をつくらなければいけない。
広告くさい広告はよしとされない。
広告の売り手側の匂いがする広告。
つまり、売り手が何かを押しつけているような、
そんな広告を好んで見る人はいない、
という理屈。
広告は進化しなければならない。
とすれば、
どういうふうに進化するかを
きちんと見極め対処できるようにしなくちゃいけない。
我々ヴォイスのような広告制作会社は。
企業の広告活動をバックアップさせていただく者として、
既存の広告様式にたよらない広告アプローチを
開発していかなければならない。
ロックは死んだと謳われた日を境に、
ロックが進化し、自由になり、
いろんなリズムやアレンジや
サウンドプロダクションが登場したように。 |
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いさぎよく生きる、がテーマ。 |
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2006-07-01 18:08:33 |
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潔い、という言葉が大好きで、
ふだんからコトあるごとに意識します。
潔い人が大好きだし、
潔く行動している人を応援したくなるし、
潔く決断する人と仕事がしたいし、
潔く仕事をしている人や企業にあこがれます。
自分自身がもっている「カッコよくなりたい」という願望は、
「潔くなりたい」と同義語だったりします。
「潔くない」は「カッコ悪い」と同じ意味に思っています。
人間だけが対象ではありません。
たとえば、ケータイやクルマやインテリアといった
モノのデザインも潔いものが好きだったり。
空間やアートも潔いものに魅かれたり。
潔さを感じないヒト・モノ・コトには魅かれない。
ヴォイスの広告も潔いものをつくりたいし、
会社を経営するうえでも潔さをこころがけたい。
じぶん自身の生き方も
潔くありたいと思っているのですが…。 |
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